人と人をつなぐコミュニケーションの道具。

それは、言葉です。

唯一、言葉を使いこなせる動物が人間であり、
人間は言葉によって、進化や発展してきました。

 

言葉を音声で伝えるか、文字として伝えるか、
方法はいろいろありますが、全ては言葉ありきです。

口で話し、耳で聞いて理解するか、
文字を書き、目で見て読んで理解するか、
点字で、手の感触で理解するか、などなど

とにかく言葉という媒体を通して、
人間はコミュニケーションをとっています。

もし、言葉がなかったら?、と考えれば、
言葉が、どんなに便利な道具であるかがわかります。

 

こんなに素晴らしいコミュニケーションの道具である言葉。

しかしながら、言葉も万能であるかというと、
実は、全くそんなことはありません。

勘違いもあれば、思い違いなんて、たくさんあります。

それどころか、
どんなに丁寧にコミュニケーションをとっても、
大なり小なり、お互いにズレが生じ、
絶対に一致することはありません。

 

そう、人間のコミュニケーションには、
絶対にズレがあり、完全に一致することなどありません。

それを理解した上で使えばいいですが、
そうは理解せず、人はコミュニケーションをとっています。

だから、以下のような言葉を使ったり、
そのように話している人が、後を絶ちません。

 

例えば、

「なんで私の気持ちを理解してくれないの?」

普段、誰もがこのように、話したり、思ったりしてますよね。

あとは、

「相手の気持ちになってよく考えなさい」

なんて話は、よく聞きます。

 

でも、冷静に考えれば、そもそも無理な話なのです。

相手の気持ちを理解しようとして、
ある程度、近づけることは可能ですが、
完全に一致することは不可能だからです。

では、なぜ、お互いにズレてしまうのでしょうか。

それは、人それぞれの観点が、いたずらしているからです。

観点とは、視点とも言い換えられますし、
自分独自の物事の見方や立ち位置と理解してください。

人は、ものごとを認識するとき、必ず自分の観点を使います。

というか、自らの観点を、必ず通ります。

逆に、観点を通らずに、思考すること自体が無理な話なのです。

 

では、その観点は、どうやって作られたのでしょうか。

それは、人それぞれの経験だったり、体験だったりが、
影響して作られています。

観点というのは、生まれたときは誰も持っていなく、
誰しもが、生きている過程において作れます。

言ってみれば、
その人にしかない、その人独特の、その人だけの、
観点なのです。

その独自の観点を通って、言葉になって相手に伝わり、
その言葉を相手は、独自の観点を通して理解する。

観点の堂々巡りです。汗

 

だからと言って、決して観点が悪いわけではありません。

相手の観点を無視すれば、争いになり、
お互いの観点を尊重すれば、それぞれの宝物になるのです。

とにかく、観点というものがあることを理解し、
相手の観点を認める。

まずは、それが大事なことなのです。

 

余談ですが、

お笑いの『アンジャッシュ』って知ってますか?

勘違いネタで有名な、お笑いコンビです。

あのネタを、私を含め、みなさん笑って見てますが、
あれば現実に起こっていることです。

それをお笑いのネタにしただけの話です。

それくら、勘違いって、当たり前にあるのです。

恐るべし、観点地獄。笑

 

◆編集後記

動物はすごい!って、ときどき思います。

人間で言うところの、言葉を使わず、
コミュニケーションをとっています。

でも、逆に考えれば、
人間で言うところの、惑わされる、
というようなことは、ないのかもしれません。

 

人間は、言葉、という素晴らしい道具を得ました。

その道具は、便利に使えますが、
使い方を間違うと、争いになったり、
とんでもない道具と化します。

だとすれば、言葉を今一度、リスペクトし、
言葉の使い方をきちんと考え、学ぶ必要があります。

それを考えるには、自分の脳のクセを、
まずは理解しなければいけないのです。